トリイロ

あまり勉強しない魔女。

個性を思い出すこと

養老孟司さんの壁シリーズといえば「バカの壁」が有名ですね。とてもヒットしているとニュースで見たことがありました。その時の私はまだ学生で本もたまに読んでいましたが、あいにく偏差値の低い学校に通っていたもので、本を持っているだけで「え?難しそうな本よんでるの?!すごい!」となり、本はファッション化してしまい読まずに持って歩いていました。流行っている本ということで、叔父の本棚にもちろんありましたから一度手に取って目を通したことはあるのでした。その時は文章のすべて訳が分からず、すこし落ち込みましたので、養老孟司さんが子供の質問に答えるといった感じの本を先生から借りて読んでみたところ、「娘から宇宙は○○(←質問の内容を忘れた)なの?と聞かれましたが、○○なのでそれは質問が間違ってるよ、というとひどく怒られました。」という一文がありました。この「質問が間違ってるよ」の一文がひどく嫌いだなと感じ(間違ってるの意味も自分が頭が悪すぎて理解できなかったし)養老さんてめちゃめちゃ偉そうだからバカの壁読むのやめよ。と思いその日から開くのをやめてしまいました。

 

大人になってから養老孟司さんのことをyoutubeで見かけて懐かしく思い、夫が古本屋で買った「自分の壁」を読んでみることにしました。一番好きな箇所がありましたのでここに記録しておきたいと思います。

 

一番好きな箇所と書きましたが本の最初に書いてあるのです。(そこしか読んでないわけではないですよ)それは「個性は発揮せよと言われなくても自然と身についているものである。周囲が押さえつけにかかっても、その人に残っているもの。」です。

一度自分の幼少期を振り返ってみました。

小学一年生の私は絵を描くのがおそらく好きだったのでしょう。自分が絵を描くのが好きな人間であるという認識は全くなかったと思います。クラスには私より絵がうまい人間が二人もいました。一人は運動ができて人気者で、もう一人は化け物のように勉強ができる子でした。どちらも上に兄姉がいて、漫画本や上の子たちに教えてもらって大人びた絵を描いていました。絵を描くたびに二人以外の生徒から、「下手なのに描いてる」と言われましたがやめませんでした。絵のうまい二人はなぜか私に下手とは言わず「手が小さすぎて変、自分の手のひらと顔を比べてごらん、手はこんなに大きいんだよ」と教えてくれたり「毎回表情が違っててすごいね、私はいつも同じ顔になっちゃう」とほめてくれたりもしました。何度かいてもへたくそだけどそれでもやめなかった私は小学二年生になり、教師からひどい嫌がらせを受けました。いろいろつらいことがありましたが、一番は描いた絵を「なんかダメ」と言って床にポイっと捨てられたことでした。それでも私は絵を描くのを嫌にはならなかったのです。その後も、絵画教室に通っている子をうらやましく思いながら中学高校と進んで、その間も絵を描いていました。誰にも褒められたことなどありませんでした。

普通やめますよね(笑)どう思いますか?客観的に見てもやめる理由がいくつもありすぎて自分でも変なのって思うんです。でもきっとこれが個性ってものなのなのか?と思ったのです。

もし同じ境遇のかたがいて、なるほどと思ってくれた人がいればとてもうれしいのですが、私は産後鬱に悩まされた時期がありました。出産、育児はなにが大変なのかと聞かれると自分を見失う機会であふれているのです。人の三大欲求はずっと侵害し続けられ食事もまともに取れない時がありました。もともと、自分の意識に対して鈍かったのでどんどん心が重くなっていて鬱になりました。その間、絵を描こうとしてもかけない時期が続きました。自分の気持ちに目が行くようになるまで、二年以上かかりました。「自分の壁」を読んだのはこの病気がだいぶ良くなってからでした。

このいろんなものに押し付けられてもやめることができないものを、人はあきらめ続けると病気になるのではないのでしょうか。食べることや寝ることを侵害されたら病気になるなんて誰でもわかることですよね。きっと食べることや寝ることと同じくらい大切なことをみんな持ってるとしたら、私は何だろうと思ったとき、夫が絵ではないかと言ってくれました。

いろんなものに押しつぶされて病気になっていませんか?そんな自分を責めていませんか。まずはいっぱい食べていっぱい寝て、そんな自分を許してあげてくださいね。そうしたら、食べることや寝ることと同じくらい好きだったことを思い出してあげてくださいね。食べることと寝ることが整ってきたらきっとまたやりたくなると思うんです。